1992年に30歳でフィリピンから来日した石原氏は、1994年に日本人男性と結婚した後、フィリピンで習得した服飾技術を活用して、名古屋市中区栄のフィリピン人女性(エンターテイナー)たちの衣装修繕で生計を立てていたという。ところが、修繕の依頼をしてくる女性たちの多くが、身体に殴られたようなアザをもっていたことに気づく。恋人からのドメスティック・バイオレンスである。そこで彼女は、在日フィリピン人女性たちの人権と社会福祉の向上を目指して、1997年に仲間たちと中区栄でFilipina Circle for Advancement and Progress Aichi(FICAP Aichi)という団体を立ち上げた。この団体はやがて、フィリピン人男性の労働問題を支援する複数の団体と合流し、フィリピン人移住者センターの設立へとつながっていく。2000年6月のことであった。