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2021.05.03 ブログ

【特別転載】入管法改悪反対⑤-マイさんのこと(Mネット2021年4月号より)

難民申請不認定の後、収容され、仮放免となった後、ホームレスとなり、さらに、癌を発症し、今年1月に亡くなったカメルーン出身のマイさんのことについて、支援者の一人である萩原芳子さんが書かれたエッセイを「Mネット」最新号(2021年4月号)から転載します。

それにしても、マイさんにもっと早い段階で在留資格が認められていたら、、と悔やまれてなりません。

<マイさんに関する報道>
・4月9日 毎日新聞「偽りの共生 死の直前「漢字勉強したい」カメルーン出身者は救えなかったのか」
 https://mainichi.jp/articles/20210408/k00/00m/040/291000c
・4月27日 毎日新聞「死後に届いた在留カード(その1) 2度入管収容、病状悪化のカメルーン女性」
 https://mainichi.jp/articles/20210427/dde/001/040/036000c
・4月27日 毎日新聞「死後に届いた在留カード(その2止) 病床で「漢字を勉強したい」 最期まで希望捨てず」
   https://mainichi.jp/articles/20210427/dde/041/040/029000c




 2021年の1月23日、カメルーン出身のマイさんが亡くなったという悲しい知らせが入った。最後まで生きる気力と愛情あふれる、少女のような眼をした、まだ42歳の仮放免者だった。最初にグレース・ガーデン・チャーチの阿部頼義牧師から北関東医療相談会の長澤正隆事務局長に一報が入ったのは2020年11月14日。マイさんは末期癌を患ってホームレスになり、海老名駅前にいるとの緊急事態だった。すぐに連絡をとって、事務局長の教会の伝手でその晩から礼拝会女子修道院の暖かい部屋に入ることができた。会ってみて、マイさんの人間的な魅力にひかれた。たった2ヶ月の交流だが、支援している他のアフリカ難民の背景とこの遠い国での苦難を象徴するところがある。


 マイさんの病気については入管の長期収容制度に重い責任がある。マイさんは2回入管に収容されている。8畳や10 畳の部屋に入れられて出会った女性たちの国籍を一つ一つ思い出してくれたときがあったが、各大陸にわたり気が遠くなる数に上った。とんでもなく過酷な環境である。優しいマイさんの苦労は想像に難くない。2回目の2017年からの約1年半の収容期間中に、マイさんは腹痛や胸の痛みが始まり看守に訴えたが、1年あまり取り合ってもらえなかった。元収容者の話では、入管は苦痛の訴えに鎮痛剤、眠れない場合は精神安定剤を渡して済まそうとする。そして外部の病院に診てもらって重症と判明すると仮放免にし、NPO 等への丸投げになる場合が度々ある。マイさんもその悲しい一例である。2018年3月に緊急入院した際は阿部牧師に声がかかり、仲間と支えた。子宮筋腫や卵管内膜症と診断され、さらに乳癌が発覚した。癌治療は大学病院が引き受けたが、2020年9月には再発とともに肝臓、骨、脳への転移が発覚した。


 マイさんの苦難はもちろん入管収容のだいぶ前に遡る。ではマイさんはどのような経緯で 2004年に来日し、17年もの年月滞在したのだろうか。彼女はカメルーン英語圏のバーメンダ出身。笑顔の素敵な家族と食料供給も兼ねた様々な動物に囲まれて育った。大好きだった父親はスコットランドヤードで研修を受けたことがある警察官だった。兄弟は教育を受け、マイさんも評価が高いチャング大学の法学部に入学した。だがなじめないまま、やがて中退した。来日した頃にはすでに郷里に暗雲が漂い始めていたが、渡航の理由は「いろいろあるけど」婚約者との問題がその一つと言っていた。当時26歳、日本の選択は多くの難民がそうであるように、たまたま。親戚が滞在していたから。


 しかし就労許可がなく、仕事を見つけるのに苦労した。手を差し伸べてくれる人もいて、ときに旅もできたが、生活は楽ではなかった。来日前に亡くなった父親に仕送りをしてやってくれと頼まれた兄弟も郷里で次々と病気になり、二人亡くなった。また40年近く続くフランス語圏中心の独裁政権は、マイさんの来日前から英語圏の弾圧、不法逮捕や拷問で人権団体に非難されていたが、近年情勢がさらに悪化し、英語圏独立派との武力衝突に発展した。背景には資源問題がある。2020年も国軍によるバーメンダ掃討作戦が報道された。とても帰れる環境ではなかった。なんとか在留特別許可が得られ、生活できる日が来ると信じて生きてきた。2020年暮れに小河弁護士や長澤事務局長の働きかけで、入管が動き出したようだと伝えると、もうすでに車椅子でしか移動できないのに、いっしょに日本を旅したいわね、友達とクリスマスを祝いたい、山羊の丸焼きはおいしいのよ、というやりとりをした。病院を出て友達に会いたいとも。17年間待ちわびた在留特別許可は皮肉にも亡くなったその日の朝に届いた。なんともやりきれない気持ちである。




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