出入国管理及び難民認定法の改正案は、第7次出入国管理政策懇談会「収容・送還に関する専門部会」が2020年6月にまとめた報告書「送還忌避・長期収容問題の解決に向けた提言」(以下、単に「提言」という。)に基づくものであるが、本稿では、この提言に関し、その前提となる事実(立法事実)の存否とその評価について検証する。
「送還忌避者」とは、「退去強制令書の発付を受けたにもかかわらず、様々な事情を主張し、自らの意思に基づき、法律上又は事実上の作為・不作為により本邦からの退去を拒んでいる者」とされ(提言7頁)、入管は護送官付き国費送還の対象となる者として用いてきたというが、この用語自体、予算要求に数年前にあらわれたものが最初であり、最近の造語である。
また、提言は「かねてより退去強制令書の発付を受けたにもかかわらず、様々な理由により、送還を忌避する者が相当数存在しており、実務上、迅速な送還の実現に対する大きな障害となっている」とし、「送還忌避者の増加は、我が国にとって好ましからざる外国人を強制的に国外に退去させるという退去強制制度の趣旨を没却する」とする(提言1頁)。
しかし、「送還忌避者」に関する過去の統計は、2019年6月末時点の送還忌避者数を記載した資料「送還忌避者の実態」と2019年12月末時点の送還忌避者数を記載した資料「送還忌避者の実態」を除き、存在しない(少なくとも公表されていない)。この2つの統計は、この専門部会のために作成されたものであって、送還忌避者に関する恒常的な統計は存在しない。
特に「送還忌避者」のうちの「被収容者」を意味する「送還忌避被収容者」に関し、政府は「お尋ねの『2013年から2018年の各年における「送還忌避被収容者」の数』については、いずれも集計を行っておらず、お答えすることは困難である。」と公言している(福島みずほ議員の「外国人の収容および「送還忌避」に関する質問主意書」(第200回国会、質問第84号・令和元年12月2日)に対する政府の答弁書(内閣参質200第84号・令和元年 12月13日))。
送還忌避者の増加の統計はない一方で、在留資格を有しない人が在留資格(在留特別許可)を取得しにくくなっているという現実がある。在留特別許可率(分母を異議の申出をしたものとし、在留特別許可がされた割合)は、平成23年82%、平成24年77%、平成25年64%、平成26年65%、平成27年65%、平成28年60%、平成29年52%、平成30年59%と急落している(平成27年入管白書52頁・55頁、平成30年57頁・60頁)。
つまり、送還の対象となる人を国家が自ら作りだし、それをもって彼らを「送還忌避者」であるとのレッテルを貼っているにすぎないのである。
「送還忌避者の増加は、…(中略)…退去強制を受ける者の収容の長期化の主要な要因ともなっている」とし(提言1頁)、「送還忌避者の問題が、収容の長期化の大きな要因となっているものと考えられる」とする(提言13頁)。しかしながら、まず前述の送還忌避者が増加しているという裏付けがないことを措くとしても、近時の収容の長期化は、収容を徹底し、仮放免を厳格化したことによるものである。
結局は、長期収容問題の原因は、市民社会で暮らしていた仮放免者たちを施設に閉じ込め、収容し続けたことによるものであって、政策転換が原因にすぎない(専門部会第2回会合資料4の長期収容者数、専門部会第3回会合資料3の仮放免者数を参照されたい)。加えて、仮放免者が増加した理由は上記のとおり在留特別許可率を急落させたことによるものである。
提言は、「法律上又は運用上送還の障害となる事由」として、①送還先国の非協力(送還困難国の存在)、②難民認定手続中の送還停止効、③訴訟提起、④送還妨害行為、⑤仮放免中の逃亡の5つを挙げる(提言8頁)。
「送還忌避者を送還しようとしても、その者の受入れを拒否する国」(提言8頁)が存在するというが、そもそも受入れを拒否する国が実際に存在し、それによって年間で何人が送還できないのか、全く不明である。
さらに、提言は「駐日大使館・領事館が臨時旅券の職権発給に応じない国(送還困難国)が一部に存在し、そのような国の国籍を有する者が送還を忌避する場合、送還が著しく困難となる」(提言8頁)という。しかし、現状では「送還困難国」は一カ国のみとされ、(仮に将来そのような国が増えたとしても)少なくとも現在、このことにより送還できない者が何名いるのかも不明である。これらの事情は、実質的には、相手国との政府間の問題であって、当該外国人個人の問題ではない。
提言は、難民認定申請を送還の障害と位置付ける。
すなわち「現行法上、このような難民認定手続中の送還停止効は、難民認定申請の理由や回数にかかわらず生じるものとされている。…(中略)…送還忌避者にとっては、たとえ難民認定申請や審査請求が退けられても、申請を繰り返している限り、送還されることはないこととなる」(提言8頁)という。
しかしながら、日本の難民不認定率はほぼ100%であり、それは難民申請者の質の問題ではなく、難民認定制度の質の問題である。難民認定制度、庇護を要する者を保護する制度の判断自体の質が極めて粗悪な状況にあっては、複数回申請が増加することは当然の帰結である。軽々に複数回申請を送還停止効の濫用と位置付けることは誤りである。なお、複数回申請については、その件数を公表するのみであり、複数回申請に至った理由の調査などは一切行われていない。
さらに信じがたいことに、この提言では、収容されている送還忌避者649人のうち、約 12パーセント(75人)が訴訟提起し、送還の事実上の障害になっているという(提言9頁)。提言は、退去強制処分を訴訟で争う、難民不認定処分を訴訟で争うことを送還妨害、送還障害の一種として位置付けているのである。
しかし、ほぼ100%の難民不認定率を前にして、訴訟提起を濫訴かのように位置付けることは大きな問題であろう。また、訴訟は送還の障害となるというのは一時的なものにすぎない(訴訟提起の末、仮に原告が敗訴したのであればその後に粛々と送還すれば足りる)。訴訟提起という「裁判を受ける権利」の行使自体を送還妨害・障害として位置付けることはいうまでもなく誤りである。
また、提言は「送還忌避者について個別送還として護送官付き国費送還を行おうとする場合において、送還に使用する民間航空機(定期就航便)の中でその者が大声を出したり、航行中に暴れるつもりである旨の脅迫的言辞を弄するなどの送還妨害行為に及んだ結果、機長の判断で搭乗を拒否されるなどして、送還の実現に至らないこととなる事例が一定数存在する」などとする(提言9頁)。
しかしながら、そもそもこのような事例が本当に存在するのか、本当に存在するとして何件あったのか、不明なままである。すなわち、専門部会において「年間でどのぐらい、こういう送還妨害行為が行われているのですか」との質問(宮崎真委員)に対し、入管職員は 「正確な数字は分かりませんが、件数はあまり多くはないのではないかと思っております」と回答している(第5回会合議事録 21頁)。これが送還忌避罪(退去強制拒否罪)の立法事実の一つとされているのである。
提言では「仮放免中に逃亡して所在不明になる者が相当数存在しており… 送還の実現は不可能になる」とある(提言9頁)。ただし、これもまた仔細にみると、累積の統計にすぎず、単年度ごとに逃亡件数が増加しているという事実も存在しない(「送還忌避者の実態」 参照)。そして、仮放免中の逃亡がなぜ起こるのかの原因調査(逃亡した後に収容された者からの聞き取り)なども一切行われていない。
以上のとおり、法改正の前提となる専門部会の提言は、その基礎となる統計、立法事実の調査・確認が極めてずさんなものであると言わざるを得ない。「外国人」に関する政策は、当局や識者の外国人恐怖症(ゼノフォビア)と排外主義が相まって、客観的な証拠・事実でなく、イメージで決定されることが多い。「外国人」の人権・権利を侵害する立法である以上、その改正提言の根底にある統計・立法事実の検証は徹底的に行われるべきである。
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