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2020.08.01 ブログ

移住者のパイオニアー渡辺マルセロさん(Mネット2020年6月号)

渡辺マルセロさん マルセロ行政書士事務所所長 ブラジル生まれ 滞日歴30年

-行政書士をめざしたきっかけを教えてください。

実は、成り行きなんです(笑)。ネクタイをしたサラリーマンに憧れて、以前は民間企業に勤めていました。書 類づくりでわからないビジネス用語がたくさんあって、もっと勉強したい、だけど何から始めてよいかわからなかった。そんな時、たまたま友だちが持っていた 「行政書士通信講座」を見せてもらったことがきっかけです。 当時の試験は一般教養の内容が多く、「これ、いいな!」 と 。これまで僕は、「日本の社会」を学習する機 会を逃がしてきた。中学では日本語がわからずに過ごし、大学受験は世界史を選択したから。でも、日本でいざ仕事をすると、社会の仕組みを知らないと困ることが山ほどある。それを痛感していたので、「資格取得」という目標は勉強の張り合いになって、2回目の受験で合格しました。

 

-来日したのは、いつ頃だったのでしょう?

僕は1978年8月に、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで生まれました。そして、13才になった 1991年夏に、両親と妹の4人で来日しました。約30年前になります。その後は、岐阜県美濃加茂市内にある公立小に通いました。年齢は中1でしたが、小6に編入。今思うと、日本語がまったくわからなかった僕には、小学校生活からスタートできてよかったです。小4に編入した妹は、言葉がわからずに寂しくなってしまう時があって、そんな時は僕のクラスに机を一緒に置いた時もあったり。こんな柔軟な学校の対応で、僕たちは毎日学校に通うことができました。 そして、中学生になって出会った担任の先生と日本人の友だちは、僕の人生にとってかけがえのない存在です。先生は、日本語がわからない僕にもクラスでの役割を与えてくれました。机の整理とかちょっとしたことでしたが、みんなの役にたてることが僕はすごく嬉しかった。また、先生は、僕が目の前にいる学級会の場などで「言葉がわからない友だちが困っていたら、何ができるだろう」と、何度も語りかけてくれた。それは、グレていた日本人の同級生に対しても同じ。そのおかげで、クラスで「僕の居場所」があった。だから、授業はほとんど理解できずに成績も最悪でしたが、 僕は毎日学校に行くことができました。親友の両親には、マラソンのゼッケン縫いなど、僕の親がわからないことをサポートしてもらいましたね。 中1の時、同級生に外国人生徒が7人いましたが、中学を卒業したのは僕ともう一人だけ。 あとの5人は中退しました。中退後は帰国した子もいたけど、日本で働いた子もいましたね。不就 学と児童労働は、僕の中学時代から起きていました。

 


-高校進学は、どのように決めたのですか?
 中3の夏休み、友だちに誘われて初めて塾に行きました。そしたら、ものすごい成績が伸びたんです(笑)。秋頃に先生から「合格できる!」と言われて、自宅近くの私立高を受験しました。そうしたら、入試時の成績が良かったみたいで、高校から「進学クラスがいい」と勧められて、コースを変更して進学しました。それが、地獄のはじまりです。
 高校では勉強漬けの毎日でした。部活なんて、入部できる余裕はなかった。宿題の量が半端なかったからです。例えば、英語の授業で単語の意味を聞かれて「わかりません」と答えると、「辞書に『わかりません』と書いてあったか?『調べていません』と答えなさい」と。教室の座席の同じ列の誰が宿題を忘れると、「連帯責任」でその列全員が椅子の上に正座をさせられました。

-どうして、高校も辞めなかったでしょう?
 中卒後に工場に就職した同級生はそこで怪我して指を失くしたり、近くに住んでいた従兄弟は「日本の学校」が合わずに帰国したり。そうした光景を見ていたからかな。勉強はつらかったけど、勉強すれば成績が伸びる。それが僕は単純に嬉しかった。その楽しさ
を知ったことが、モチベーションの維持にもなった。「僕」という存在をそこで見い出せていたのかもしれません。
 親から「勉強しなさい」なんて、一度も言われたことはなかったです。母親から毎朝栄養ドリンクを差し出されて、それを飲んで登校していましたね。

-難関の岐阜大学教育学部に、見事合格しましたね。
 高3になって、初めてセンター入試の存在を知りました(笑)。それまで、誰も教えてくれなかったから、入試は二次試験の2教科だけでなく、全教科必須と知った時は、すごくあせりました。僕は数学と英語が得意だったから、理科は計算が多い「物理」を、社会は「世界史」を選択しました。志望校選びは、英語の勉強できて、教員免許が取得できる、学費の安いこと。滑り止め受験なんて、僕の家庭ではできなかった。
 大学に入学したら、同級生たちを見てびっくり!超真面目な人たちばかり。僕が入学した講座は、特に優等生が多いことを後から知りました。だから、同級生との交流会などは積極的に企画しました。友だちもたくさんできて、好きな英語も勉強できて不満はなかったけど、僕はすべてがイヤになってしまった。ずっと走り続けた毎日に疲れたのかもしれない。大学3年生の時、休学しました。
 その時の僕は、ポルトガル語をわからないふりをしていました。バイト先の店にもブラジル人がたくさん来客して、日常生活で困っている話をしているのに、聞き流していた。そんな僕が、休学中に13才の時の来日以来、初めてブラジルへ行きました。それがきっかけで、「ブラジルも日本もどっちの良さも知っているのが、僕なんだ!」と思うようになったんです。何かが吹っ切れて、大学に戻ることができました。すごく晴々した気分だった。その時には教師になりたいという気持ちは失せてしまったけど、教育実習では一生懸命に取り組みました。毎時間に英語のコントを披露して、少しでも生徒たちに語学を楽しいと思ってもらえる授業を徹夜で考えましたね。


-卒業後の進路は?
 就活の方法がよくわからずに卒業を目前にしながら、同じ地域に暮らすブラジル人の役に立つことがしたいなと、漠然と考えていました。その時に、美濃加茂市役所での通訳者募集を知りました。2年間勤めた後に、通訳でない仕事がしたくって、民間企業に3年間就職して、現在に至ります。休学中、僕は育った岐阜県内のブラジルコミュニティの活動に積極的に参加しました。なぜならば、日本語がわからないことで苦しんでいる子どもたちが、いまだいることに驚いたからです。宿題などの学習支援教室やポルトガル語母語教
室の運営をサポートするボランティアに参加し、卒業後も続けました。
 そして、行政書士に合格した2008年1月(8月15 日行政書士会登録)のあと、リーマンショックの影響で岐阜県内のブラジルコミュニティは大打撃を受けました。そのため、専門性を生かしてコミュニティを支えたいと強く思い、行政書士としての活動を2009 年8月から始めました。

-パパとして思うことは?
 日本での子育てを通じて、学校からの手紙や宿題の多さ、親の参加の多さを実感しています。現在、息子2人は小学生です。妻は日本人で現役の学校教員ですが、それでもわからないことはたくさんあって、妻のママ友などの情報で助かることも多々あります。だか
ら、地域とのかかわりのない外国人家庭は、言葉の壁もあって、すごくたいへんだと想像します。僕の幼い頃より、今はもっと大変なような気がします。
 僕も妻も仕事をしているため、妻が帰宅するまで僕が息子と過ごします。息子の習い事の送り迎えや簡単な食事などを担当して、妻が帰宅したらバトンタッチ。それから僕は仕事に出かけます。どうにもならない時は妻の母に助っ人をお願いしていますが、こうした連携プレーがないと、日本では共働きでの子育ては厳しいですね。
 数年前、家族4人でブラジルにいる僕の父に会いに行きました。やっぱり行ってよかった。息子たちは、「ブラジルにお祖父ちゃんがいること」に誇りに思っているようで、友だちには自慢げに話してくれてみたい。嬉しいですね。

-活動を通じて「見える」、最近の東海地域のブラジルコミュニティとは?
 今は子育てに追われる生活で、以前のようにブラジルコミュニティと直接かかわる活動ができないのが心苦しいです。しかし、僕は行政書士の広告などをほとんど出していないのに、口コミで仕事依頼が次々と舞い込んできます。僕の仕事のスタイルは、依頼者の家庭へ行って対応する。外国人住民からの依頼が主なので、この方法が一番合っているんです。リラックスできるのか、個人的な相談事も多いです。電話での相談は常にあります。その時はできる限り傾聴します。すると「聞いてもらったらすっきりしたよ」と言われることもしばしば。必要に応じた適切な窓口に繋げることで、個人が抱える問題解決のサポートを続けています。
 こうしたなかで感じることは、最近は仕事上の鬱やストレスの多さ。初めて来日した若いブラジル出身者は苦しんでいます。また、コロナショックの影響で派遣止めや派遣切りが2月から増えています。今年の夏以降が心配です。

-最後に、今後チャレンジしたいことを教えてください。
 「行政書士」として、日本人住民ともっとかかわりたいです。今、仕事仲間と高齢者が集まる団地の一角で相続に関する無料相談会を行っているのですが、そこにいると「変わった名前だね」と声掛けくださる年配の方々がいるんです。「ブラジル出身なんですよ」と、話しているうちに僕のことを信頼してくれて、仕事を依頼してくれる関係になる。こんなことが日常化したら、多文化共生という大看板は不要ですよね。僕のできる「多文化共生」をこれからも「ジモト」の岐阜で取り組んでいきたいです。

 ありがとうございました。

インタビュー:
小島祥美(愛知淑徳大学教授)




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