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2020.02.17 ブログ

オーストラリアの多文化主義と移民政策 ――2013年以降の動向(Mネット2019年12月号)

「成功した多文化社会」の誇示と「オーストラリア的価値」の強調

 2018 年7月、オーストラリアのマルコム・ターンブル保守連合政権(当時)の市民権・多文化問題担当大臣であったアラン・タッジはロンドンで、オーストラリアの多文化主義は欧州諸国のそれよりも多様な人々の統合に成功していると演説した(Tudge 2018)。その見解は、前年に発表されたオーストラリア連邦政府の文書を反映したものである(Australian Government 2017)。実はこの文書では「多文化主義(multiculturalism)」はおろか「多文化政策(multicultural policy)」という文言も使われず、「多文化オーストラリアへの確固たる関与(a firm commitment to a multicultural Australia)」などと言い換えられている。だがそれでも、施策自体は従来の「多文化主義」がほぼ踏襲されている。 いっぽう、この文書では多文化オーストラリアへの「関与」の鍵として、「共有されたオーストラリア的価値(shared Australian values)」が強調され、「尊重」「平等」「自由」というその内容が説明された。それは法の支配、議会制民主主義、多様性の尊重を含む「リベラルな価値」そのものであり、1970年代から「リベラルな多文化主義」(キムリッカ2018)として発展してきたオーストラリア多文化主義の理念が継承されている。

「マスキュラー・リベラリズム」とイスラムへの排外主義

 だが2017年の連邦政府文書が過去の類似の文書と異なるのは、「共有されたオーストラリア的価値」を侵害する者は「オーストラリアに存在する余地はない」と断言していることである。つまり包摂・共生の理念であるはずの多文化主義に、明白な「排除」の論理が紛れ込んでいる。これは、危険だとされるこうした人々を国境で排除することによってのみ、調和のとれた多文化社会が実現するという、移民問題の「安全保障問題化(securitization)」の論理である。こうして冒頭で述べたタッジの演説では、連邦政府はリベラルな価値の共有を「マスキュラーに」推進すると宣言される。そして「価値を共有できない」人々だと暗黙のうちに見なされているのは、いわゆるイスラム過激主義者である可能性が高い。イスラム教徒への排外主義は、イスラムを「西洋」の価値観とは相容れない他者だとあらかじめ決めつけることで排除する。したがって「マスキュラー・リベラリズム」としての多文化主義が、オーストラリア社会でも顕在化しているイスラムへの排外主義を抑制するには限界があり、場合によってはそれを黙認さえしてしまう。

ボート・ピープルへの厳格な対処と人道的受入プログラム

 首相が交代しつつ 2013 年から続く保守連合政権下で、難民受け入れ政策が厳格化したといわれる。確かに、政府がIMA(Illegal Maritime Arrival)と呼ぶ、いわゆるボート・ピープルについては、悪名高い「パシフィック戦略」が再開され、国外抑留施設に収容された庇護希望者への人権侵害が疑われた。また庇護を認められた人々も一時滞在保護ビザでしか入国が許可されないことや、 2010年代前半に入国し豪州国内に在留するIMAに対する厳しい処置などが問題視された(塩原 2017)。ただし連邦政府が難民等の受け入れの本流と位置付ける、国外からの庇護申請と審査に基づく「人道的受入プログラム(humanitarian program)」での受け入れ数は、年ごとに増減はあるものの2013 年~2018年ではむしろ増加している。また、やはり人道的見地から受け入れられる、移民が呼び寄せる家族(子どもを含む)の入国数が難民等以外の新規移住者に占める割合も、約3割とほぼ一定している。

「需要主導」の発想の強まり

 1990年代後半以降、連邦政府がもっとも多く受け入れているのは難民等や家族呼び寄せ入国者ではなく、技能移民(skilled migrants)である。技能移民の受け入れでは、経済的利益に資する移民の選別が目指されてきた。その中核が1970年代に開始されたポイント・テストであった。しかも2010年代になると、国内労働市場の動向に合致した柔軟な受け入れという観点から、国内の雇用者がスポンサーになっての受け入れが重視されるようになり、より明確な「需要主導型(demand-driven)」に変化した。長期一時滞在就労ビザ(457ビザ)による労働者も増加し、2018年から導入されたTSSビザによってさらに効率的な受け入れが目指されるようになった(塩原2017)。近年では、人道主義に基づき受け入れる難民等や家族呼び寄せ入国者も、経済的利益に基づいて選別される傾向にある。IMAからの庇護認定者に交付されるSHEビザが2014年に導入され、連邦政府が指定した労働力が不足している地方部での一定期間の就労が永住ビザ取得への条件として課せられた。また2017年に本格導入されたコミュニティ支援事業(SAP)は、雇用者が雇用したい者を人道的受入プログラムによって入国させる制度である。 いっぽう、家族としての呼び寄せが許可される圧倒的多数が配偶者と子どもであり、社会保障コストがかかる高齢の親の呼び寄せは制限され、特に低所得層の人々にとっては難しい。こうして技能移民だけではなく家族呼び寄せや難民等の受け入れにも、国内労働市場の動向とリンクさせた「需要主導」の発想が影響している。

危ういバランス

 こうした動向をやや乱暴にまとめれば、次のようになる。①連邦政府は一般市民のイスラム嫌悪感情を政権への支持に結びつけるため、「過激な」イスラム教徒を排除する「マスキュラー・リベラリズム」を掲げる。②だがそれには、自分たちが「リベラルな」自由民主主義国家であることを証明せねばならず、そのために難民等の統制された受け入れや家族呼び寄せ移住といった人道主義を維持する。③その結果予想される、難民等や家族呼び寄せ入国者への福祉ショービニズムに対処するために、かれらの受け入れに需要主導の発想を導入し、国内労働市場のニーズに対応させる姿勢を示す。「成功した多文化社会の誇示」と「マスキュラー・リベラリズム」、「人道的見地からの移民・難民受け入れの堅持」と「非人道的と非難されるIMAへの厳格な対処」「経済的利益に基づく選別的移民受入れの強化」という、相矛盾して見える諸現象は、上記①~③のメカニズムによって共存している。そのバランスをとりさえすれば、保守連合政権は排外主義に依拠して政権基盤を強化しつつ、その排外主義を抑制しながら経済的利益のための移民受け入れを進めることができる。だが、それが政府の意図したものだとしても、偶然の産物だったにせよ、このバランスは一時的で不安定なものでしかない。それが崩れたとき、オーストラリアは本当に「成功した多文化社会」でいられるのか、注視しなければならない。

引用文献

Australian Government, 2017, Multicultural Australia: Unite, Strong, Successful. Tudge, Alan, 2018, “Maintaining Social Cohesion in a Time of Large, Diverse Immigration: Lessons from Australia,” Speech at the Australia-UK Leadership Forum, London.

キムリッカ,ウィル(稲田恭明・施光恒訳),2018,『多文化主義のゆくえ――国際化をめぐる苦闘』法政大学出版局. 塩原良和,2017,『分断するコミュニティ――オーストラリアの移民・先住民族政策』法政大学出版局.


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