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2019.12.17 ブログ

東京都江戸川区議会議員 よぎ議員 インタビュー(Mネット2019年10月号)

よぎ議員(本名 プラニク・ヨゲンドラ)

 インド出身。1997年に初来日、1999年に日本留学、金融関係のIT、事務部門で長年働き、2012年に日本国籍取得。2019 年7月に実施された東京都江戸川区議選で立憲民主党公認で立候補。6,477票を得て5番目で当選。42歳。江戸川区内でインド料理店、インド文化センターも運営している。




東京都・江戸川区

 東京都東部に位置し、面積49.09 平方キロメートル、総人口70万人、 総世帯数 34万5千(2019 年8月現在)。外国籍住民数(2019 年1月現在) は33,457人で、東京都内の自治体で2番目に多い。区内インド人はもう 4,700人を超え2位に(2019 年9月 現在)。中国人、インド人はともに東京都内の自治体で1番目に多い。



江戸川区のインド人コミュニティ


 東京都内在住のインド人(1万2千人)の3割以上が江戸川区在住で、 隣接する江東区にも2千人のインド人が暮らす。区内および隣接する江東区にそれぞれインド人学校(インド系 インターナショナルスクール)が1校ずつあり、インド料理店も多い。


よぎ議員(本名 プラニク・ヨゲンドラ)

大震災で感じたインド人の連絡ネットワークの必要性

 2011年に東日本大震災が起きたとき、 日本にいるインド人とコミュニケーションするツールがなかったんです。インド大使館は航空会社と交渉してインドに帰る人たちのために便を増やしたけれど、インド人コミュニティに対して「大使館がちゃんと面倒見ますよ」というメッセージを発信してほしかった。便数を増やすことで逆に「逃げる人は早く逃げて」というメッセージになってしまった。
 震災が起きて、江戸川区だけでもインド人の5割くらいが帰国しました。私は、震災当日の夜は自分が住んでいる江戸川区内の団地の中を回って、みんなのガスメーターを復旧再開したり、安全確認したり、倒れた家具を戻したりしました。その翌日からインド人からバンバン電話来て、一人で200件から300件ぐらい電話対応しました。また、自分でも「誰でも不安があれば電話して」と伝えました。電話をかけてきた人が「うちの子ども、まだ2歳だけど大丈夫かなあ、帰りたいんだけど」と泣くんです。それに対して「大丈夫だから安心して」と答えました。その時に、インド人の連絡ネットワークをつくらないといけないとすごく思ったんです。


全日本インド人協会の発足

 やっぱりインドっていうのは一つの国じゃないんです。インドの中に複数の国があるからインド人を一つの会として束ねるということはすごく難しい。日本国内にもインドのいろんな会が存在するんですが、 タミール民族、ベンガル民族などいろんな民族ごとの会があって、それぞれバラバラの考え方を持っていて、意見を束ねるのは難しい。
 けれども、大震災の後にそれぞれの会でほぼ同時に世代交代があって、2015~16年頃にリーダーシップが若い世代に切り替わったんです。それはタイミング的に良かった。2017~18年にいろんな会のリーダーたちと時間をかけて話をして、2018年に合意形成ができて、2019年2月に正式に全日本インド人協会(All Japan Association of Indians)が発足しました。 2020年には選挙を行い実行委員会を設置することと、コミュニティに対する福祉サービスに焦点をおくことで合意しました。


やるなら今!

 全日本インド人協会ができたので、外国人の思いを行政につなげることが次のステージだと思い、同時に、これでワンステップできたというのも自分の中にあって、「あーこれで選挙だ」と。もし今回出なかったら次は46歳。46歳で会社を辞めて当選できなかったらちょっとやばい、「やるなら今!」と思ったのです。
 立候補の気持ちは2016年から持っていました。私、地元の西葛西でけっこう活発なんですよ。自治会、PTA、卓球・バドミ ントンなど会やいろんなスポーツの会など、顔を出すところも多い。江戸川区でPTAの マニュアルを初めて作ったのも私です。絵をつけてきれいなマニュアルを作りました。
  2015年の区議選の時に「立候補しませんか」と声をかけられたこともありました。でも当時は全然そういう考えがなかったんです。銀行の仕事もとっても好きだったし。

アンケートで意見を聞いて公約づくり

 公約をつくるために300人ぐらいにアンケートしたんです。それをちゃんと理解した上で公約をつくりました。(アンケートは)単純で「あなたが今、日常の生活の中で一番目に変えたいこと、二番目に変えたいこと、なんでも教えてください」というものでした。  結果は、教育が一番多かった。江戸川区はいま保育園・幼稚園を民営化しているんですが、区民の批判は多い。民営化したところは案の定、料金を上げてきています。すべて国がやるべきとは思っていませんが、保育など基本的なことは国がやるべきだと思っています。  
 二番目に大きかったのは幼稚園からの英語教育と多文化共生。いま幼稚園も外国人の子どもたちが多いので、その子どもたちとどう接するかということ。(アンケートの対象は)日本人、外国人、年齢関係なく聞きました。外国人から一番出たのは「区立の学校で英語教育を絶対にやってほしい」「区のインターナショナルスクールをつくってほしい」でした。


「新しい風を吹かせてください」 という期待

 当選してから駅前で朝活していると、「よぎさん、入れましたよ、頑張ってね」と言ってくれる人たちがいますが、「新しい風を吹かせてください」という期待を感じます。私のプロフィールも今までの人たちとは違っていて、細かく考えきった新しい概念を持ってくるんじゃないか、という期待が(有権者に)あったような気がします。インド人コミュニティも私の知っている外国人もみんなすごい推してくれました。インドの新聞、インドのテレビのいろんなチャンネルもワイワイ騒いでくれました。ただ、本当に投票日の前日まではまったくプレッシャーかかってないです。「勝つために出る」というのは自分の中にはなかったから。正直、アクションを起こすために出るのであって、勝つために出るというのではなかった。議員にならなかったらボランティアで頑張っていたと思います。全日本インド人協会ができたから、次は韓国人会とか中国人会とつながって、ボランティアとしての波を打とうと思っていたんです。


新しい考え方を持つ 政治家が求められている

 海外にルーツを持つなどさまざまなバックグラウンドを持った人の政治参加は増えるべきだと思っています。今回私が出たことで、私のまわりのインド人が2人「私も出たい」と言ってきた。「よぎさん、教育してください」と。あと、自分が知っている日本人の女性たちの中で「この人は行けそうだな」という人を引っ張って教育したいと思っています。実践的な話をして人の心を掴むことに関してパワーがある人たちだと思っているんです。
 一般の日本人も新しい考え方を求めていると思います。選択肢がないから既成政党に入れ続けているのでしょう。既成政党には別に反対じゃないけど、ただ彼らのアジェンダはどれも同じ。今の人たちはもう少し違うことを考えて、別のアジェンダを求めていると思います。
 (次の選挙に出る人を)今ピックアップすれば3年で育てられます。その人たちと一緒に朝、駅前で活動をやったりする。 今しないと間に合わない。 日本人の政治家はけっこう間接的な表現をして全部言わないし、言っていることとやっていることが違う。でも(有権者は)もうそれは十分だ、って感じですよ。もうちょっと自分たちを理解して、ピンポイントの政策を言ってくれてそれをやってくれよ、って感じだと思います。

民主主義をもう一回考え直す時代にきている

 区議会での立憲民主党員は3人しかいなくて、交渉会派(江戸川区では4人以上)ではないので、いろんなところに行って議論や交渉ができない。国会と違って、区議会では与野党はないんです。もちろん、 自民党、公明党は議員数も多いので、彼らが賛成だと他にやりようがない。議会でのやり取りは、会派でどうするかが基本で、あまり個人の意見が出せないというのが議員になってみてわかった結果でした。次からどうしようか、いま自分の中では考えているんですけど。
 みんなが自分の意見を自由に通すことができるというのが民主主義だったと思うんですが、今は民主主義イコール自民党が何を考えているか、公明党が何を考えているか、になっちゃっている。本来の民主主義はみんなが無所属みたいな感じではないかと思います。けれども、いろんな政党をつくるやり方を取ることで実は本来の民主主義を壊してしまっていないか。民主主義をもう一回考え直す時代に僕らは来ているような気がするんです。「民主主義、これで働いていますか?」と。そういう時代に僕らは突入していると思います。


「すべての子どもに多様な教育を保障する」

 (移住連『移民社会20の提案』のうち、 印象的なもの、関心のあるものを選ぶとすると)まず「すべての子どもに多様な教育を保障する」です。もう2世代目、3世代目の時代に入っています。1世代目は自分の意思で異国に来たけれど2世代目はそうじゃない。1世代目よりも2世代目はいじめの対象になったり、うまく教育を受けられない環境にいたり、言語も中途半端になったり、自分の国に対するアイデンティティも中途半端になりかねない。子どもに対する教育は一番ネックだと思います。私はインドから頭脳流出して日本に来ました。インド人学校に通っているインド人の子どもたちの中には日本語が上達せず、インドに帰って大学に行く子どもたちも多い。日本に戻ってくるかわからない。子どもは子どもの人生を生きればいい。でも、せっかく僕らが日本に来たのに、人材不足という日本の長期的な問題が解決できるかというとクエスチョンマークですよ。新しい人をまた引っ張ってこないといけなくなる。

「多様性を前提とした行政サービスを」

 2番目は「多様性を前提とした行政サービスを。今の行政サービスというのはほとんどが「成るように成る」です。ウェブサイトに自動翻訳をつけて、それで国際化したつもりになっている。そうじゃなくて、自分から発信することが大事。それから、もっと人からの意見が出やすい、そして行政に届きやすい環境をつくりましょう、と。行政は、実際に地域のコミュニティに行って、コミュニティでヒヤリングをして、「実際の課題はこれだからこうしよう」とすべき。自分がサービス提供している相手のところに行ってヒヤリングする。でも、行政がヒヤリングに行くのは、インド人コミュニティで言えば、長く住んでいる人。その人の意見を聞いて、それがコミュニティ全体の意見だと思っている。もっとオープンにみんなにアンケートをすればいい。 
 教育関連の委員会では毎回個別案件を単独で議論しますが、展開中の全事業の中でその案件がどこの空白を埋めるのか、説明が欲しい。対象者ごとにライフサイクルを確認することで全てのニーズを把握し、そこに展開中の全事業を落とし込めばどこが空白かわかる。そうすれば優先順位を決めて取り組めると思います。
 子どもと同時に大人にもニーズがある。子どもと同じ日本語学級にどうして大人が入っちゃダメなの?私の素直な質問です。お母さんたちが子どもと一緒に日本語学級で学べばいい。子どもとお母さんが一緒 に行けたら2人でハッピーだと思いますよ。余分にお金もかからないし。日本政府は少子化対策として「外国人」についてやっと言い始めている。外国人に日本で子どもを産んでほしいと日本政府が言うんだったら、ちゃんと日本語教育も与えてメインストリームに持ってくるべき。外国人が社会全体の2割、3割になったけれど投票権がない、という国は想像できません。技能実習制度もまったく準備不足。多文化共生は何にもできてない。さらに自治体任せですらない。自治体にプランを尋ねても何にも出てこない。「成るように成る」だけ。自治体に任せているとは言えないです。


「国際人権条約の完全批准」

 3つ目は「国際人権条約の完全批准」。議員になって増えたのは警察をはじめいろいろな問題の相談の電話です。日本は、まっすぐな線からずれた時は「お前は犯罪者だ」となりやすい。日本の警察は「この人は罰されるべきだ」と決めつけちゃう。それは人権侵害ですよ。3週間前に江戸川区に住んでいるネパール人が千葉県内の警察で拘留されてしまいました。警察に聞くと「彼は会社の書類を無断で家に持って帰りました」。でも、ネパールコミュニティの人に話を聞いたら、彼は職場のオーナーに自分の住民カードをコピーのために渡したのに2ヶ月も返してくれない、預けっぱなし。彼はずっと返却を求めていたけれど、オーナーがずっと返さないから、怒って、「カードを返してくれたらファイルを返す」と言って、帰り際に会社のファイルをそのまま持って家に帰った。そうしたらオーナーが警察に行った。彼が警察に同じ内容を伝えようとしたけれど、警察は彼の言うことを聞いてくれない。警察は最初から彼の話を聞いて、オーナーのところに行って事実確認をしていたら、実はその場で終わりになる話だったかもしれない。オーナーは完全に違法行為をしています。他人の住民カードを勝手に持つことは完全に違法行為です。だから、警察にオーナーに対してアクションを取るよう求めています。捕まった彼は日本語を喋れないわけではないです。19 ~ 20歳くらいの若者だったんです。6日間の拘留ですよ。彼はこの後、その6日間を自分の中でどんなふうに思って生きていくのか。私は警察に対して恨みを持ち続けるのではないかと思っています。

外国籍者の地方参政権について

 基本、税金を払っている以上、参政権はあるべきだと思います。ただ、日本では英語のメディアはとても少ない。外国人は(地方政治に)興味あることはあるんですけど、参政権を持たせても日本語の情報に基づいて本当に投票に行くのか、ちゃんと公約を理解して投票できるかは疑問に思っています。ただ、税金を払っている以上は(地方政治に)参加する権利は発生する。私はそこをベースに立っているんです。それが軸です。

外国人のためにやっているのではない

 (いろいろな問題ある時代だからこそ)もっと僕らが前に前に出ないといけない。「僕ら」というのは、日本人・外国人ではなく、「このままやっていたら壊れる」と思ってる人たちは前に前に出ないといけない。20 年近くこの国にいますが、本当にここまですごくいいことありました。この国でポジションももらったし、お金ももらったし、いろんな人から守ってもらったし、たくさん愛ももらった。嫌われた人もいるし、差別された人もいるけど、愛をもらった人たちがいっぱいいます。インドの社会はインドの社会の良さがあるけど、日本の社会も日本の社会の良さがあって、それが「外国人が来て壊れた」と言われるのは許せない。「外国人がこの国に来て、日本をダメにした」と。私は外国人のために議員をやっているのではないです。日本の社会は今まで安定していた。その安定した社会を、たくさんの外国人が移民してきても、このまま安定して持続性のある社会になるよう目指したいです。

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