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2019.10.30 ブログ

ニュージーランド・クライストチャーチ銃撃事件と「われわれ」の両義性(Mネット2019年8月号)


 今年3月 15 日、SNS 上で一枚の絵が著しい速さで共有された。そこには、「ここは貴方の家、そして安息の地であったはずなのに」と言うメッセージと共に、マオリとムスリム、2人の女性が抱擁している様子が描かれていた。作者は、ニュージーランドの首都ウェリントン在住の画家、ルビー・ジョーンズ。同氏はその日午後に同国クライスト チャーチ市で起こった銃撃事件の犠牲者に哀悼の意を込めて即座に筆を取ったのであった。
 悲劇は午後2時頃に起こった。オーストラリア人ブレントン・タラントは、市内2ヶ所のモスクへ侵入し、所持していたショットガン2丁と猟銃1丁で、構内にいた人々を次々と射殺。その模様をオンライン上で中継した。この事件による死亡者は 51 名、被害者総数は90 名にも上り、ニュージーランド史上最悪の銃犯罪となった。事件直前、犯人は SNS 上で70頁超にも上る犯行声明を掲載し、そこから今回の銃撃事件がヘイト・クライム(人種差別主義者による犯罪)であることが裏付けられた。
 「クライストチャーチの虐殺」とも呼ばれる今回の事件により、それまで比較的「平和」な印象を国内外で持たれていたこの国において、あまり直視されて来なかった現実が露わとなった。全国紙ニュージーランドヘラルドは、翌日、一面で「無垢の終焉(The End of Innocence)」と題し、この国が銃規制、白人至上主義、反移民感情など、欧米諸国で深刻化する一連の問題の渦中にいることを論じた。
 アーダーン労働党政権は、この事件 に迅速且つ非常に強硬な態度で対応した。首相は国会での演説において、犯人はニュージーランド法における「最強 の (with full force)」刑罰を受けると発表した。また「犯人は悪名を得ようとし た。しかし、この国は犯人に何も与えない。その名前すらも」と言い、「犯人の名前を口にするくらいならば、犠牲者の名前を思い出して欲しい」と市民に要請した。事実、その後、犯人の名前は新聞テレビでは一切報じられなくなり、ただ「容疑者」とのみ呼ばれるようになった。
 政界のみならず、この事件はニュージーランド社会に大きな波紋を呼んだ。事件後1ヶ月間に渡り、全国あらゆる場所で公的及び私的な追悼集会が行われた。特に、マオリ・コミュニティと高校生をはじめとする若者のイニシアティブは被害者支援活動において顕著であった。ヴィクトリア大学でも、事件当日、学生広場の夜間開放を決定。学生、スタッフ、近隣住民が集える場とした。また、事件で心的ストレスを感 じる学生、スタッフには無料カウンセリングを提供した他、3週連続に渡る追悼集会が催され、多くの学生、教職員が毎回集った。さらに、学生たちによる自主的な発案のもと、改修中の建物の周囲に設置された防護用の黒いベニア板は、急遽、事件や被害者に向けたメッセージを書けるボードに様変わりし た。(写真参照)
 「彼ら(被害者)はわれわれなのです。(They are us.)」これは事件当日、首相が記者会見で語った内容の一部である。この言葉は、事件に対するアーダーン自身の熱心な対応を象徴するものと一般に考えられている。同時に、アーダーン首相は「人種差別主義者は、われわれではないのです (They are not us.)」 とも発言した。しかし、ここで言われる「われわれ」とは一体誰なのか。ヴィ クトリア大学で人類学を講じるキャサリ ン・トルンドルは、自身のブログにおいて、アーダーンの「not us」は「誤り」であると断じ、「人種差別はこの国の現実である。(中略)今、われわれに必要なことは、非差別主義者である、ということではない。反差別主義者であると言うことである」と論じた。この国において、この事件は異文化共存に向けた新たな挑戦を意味することとなった。

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