私はイラン大使館内にある小学校に入学後、高校を卒業するまでの12 年間、日本とイランを行き来する毎日を過ごしました。
使われる言語が日本語とペルシャ語で違うのは当然のことながら、学校の教科もイランのものとまったく同じでした。日本の学校とちょっと違うのはイスラム教とコーランの教科があることでした。
日本に置き換えたら仏教の歴史・哲学と写経の教科が小学校からあると考えると、何だか重々しい印象ですが、日本の学校の道徳にあたるものと考えてもいいと思います。イスラム教とコーランの時間では、イスラム教に限らずユダヤ教やキリスト教といった一神教の歴史や先人たちの教えを通して、誠実に生きるための道徳を学びます。古典アラビア語で書かれたコーランを音読し、解読するのは、日本における古文・漢文に置き換えられると思います。
私の父は厳格な人ではないので、イランの学校に入るまで、日本でスカーフをかぶることはありませんでした。入学後も、学校の外ではかぶっていませんでした。そのため、1日のうちに日本式からイラン式、イラン式から日本式と服装を変える日々でした。
“ 私たちは、つねに誰かにとって外国人だ。一緒に生きることを学ぶこと、それこそが人類差別と闘うことなんだ”
(『娘に語る人種差別』 p. 93)
私は、イランの高校を卒業してから日本の大学に入学しました。そこでも、自分はイランなのか日本なのかというモヤモヤがつきまといました。さらに日本の大学で初めて、同年代の日本人の多くがイランのことをあまり知らないということに気づき、ショックを受けました。
でも冷静に考えてみれば、日本から遠い国で交流もあまりない国イランや、その他中東諸国のことをあまり知らないことは当然なのかもしれません。しかし私が無知よりもショックを受けたのが無関心でした。
イランに限らず、海外さらには身近な日本国内のニュースに無関心な大学生が多いことにフラストレーションを覚え、留学することにしました。
私が留学先に選んだのは、アメリカ・カリフォルニア州の大学でした。カリフォルニアは移民の人口が多いことで知られています。出会う人々のほとんどがミックスレース(mixed-race)で、外見もさまざま。ハーフであること、外見が違うこと、育った環境が違うことを考えたり悩むこと自体が意味をなさないと、目が覚めました。
シンプルに、
日本人であること、ないこと。
イラン人であること、ないこと。
を受け入れられた感覚です。
また悩むことよりも、自分の個性を形成している文化をいかに、それを知らない人に紹介することができるか?ということの方が重要だし、ポジティブな姿勢だと気づきました。
1年の留学を終えて帰国後、どうしたらイランやその他中東諸国について関心を持ってもらえるか?を考えるようになりました。
中東地域には現在、複雑な問題が絡み合っています。アメリカなどによる対中東諸国政策はもちろんのこと、この地域内の政党、民族、宗派などそれまでの長い歴史の延長線上にある対立がたくさんあり、遠く離れた日本でそれらをすべて理解することは、専門家や中東地域にかなりの関心がある特定の人びと以外、難しいことだと思います。
しかし、それらの難しいテーマが、アートや映画などを通して伝えられたらどうでしょうか?
例えば、イスラエルとパレスチナ問題。日々発信されるニュースの記事やこの問題を分析した論文などを読む人は少ないと思います。また読んだとしても、そこから感情が動かされ行動に移し、何かをしよう!と思い立つ人はごく一部だと思います。一方で、この問題をテーマにした映画やアート作品といった文化の文脈で語られた時、それらは見る人の感情を動かし、価値観をも変えてしまう可能性を秘めています。
私は、映画そして現代アートのこういった可能性を信じて、文化の視点で中東のことを発信して行きたいと思いました。大学を卒業してから関わっている映画祭「東京フィルメックス」は、主にアジアの普段日本では見ることのできない作品を紹介しています。例えば、第15 回東京フィルメックス(2014 年)で上映された、イラン在住アフガニスタン人監督による作品『数立方メートルの愛』は、日本だけでなく世界でもあまり話題に上らないイランにおけるアフガン難民の過酷な生活をラブストーリーの文脈で描くことで、観客は複雑で遠い問題にも共感を抱くことができます。
私が宣伝で関わったアップリンク配給の『オマールの壁』も同様です。イスラエルとパレスチナの長年続く対立を、ラブストーリーとして描くことで、対岸の火事ではなく、もっと身近な問題に置き換えて考えることが可能になります。
このように難しいテーマをとても身近なストーリーで伝えるのは映画に限ったことではありません。2012 年に森美術館が主催した「アラブ・エクスプレス展:アラブ美術の今を知る」は、日本のアート界にだけでなく、これまで日本人が抱いていた中東観に衝撃をもたらしました。例えば、レバノン出身の作家ジョアナ・ハッジトマス&ハリール・ジョレイジュによるシリーズ作品「ワンダー・ベイルート」(1997 年〜2006 年)。かつて「中東のパリ」と呼ばれたベイルートの平和な風景を写した絵葉書がひどく破損しているこのシリーズ作品は、1975 年から1990 年まで続いた内戦により破壊された「中東のパリ」の姿を物語っています。本来は楽しい観
光地を連想させる、土産店に並ぶ絵葉書から内戦の悲惨さを伝えるこの作品は、戦争や対立の取り返しのつかない破壊力を訴えかけます。本展覧会は、世界的に評価されているがしかし、日本では全く知られてこなかったアラブの作家を取り上げることで、アラブ・アートの現状を伝えるだけでなく、アラブを今まで知らなかった人々へのきっかけを与える展覧会となりました。私自身も、この展覧会がきっかけで、現代アートの持つ影響力を知り、アートで中東の今を発信したいと思うようになりました。
私はアート・キュレーターの職に関心を持ち、東京都現代美術館のインターン、東京藝術大学映像研究科主催「リサーチ型アートプロジェクトのための人材育成事業」、東京大学主催「社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業」、森美術館学芸アシスタントを経験してきました。
そして、中東地域のアートについてもっと知ってもらいたいと思い、中東のアートについて発信するメディア「seeME」(https://seeme.jp) を立ち上げました。そこでは、中東をもっと身近に感じてもらう事をテーマに中東の戦争でもなく、油田や経済でもなく、人びとのストーリーを、アートを通して伝えるコラムを書いています。seeME では、パレスチナで新しくできた現代美術館での展覧会、ロンドン・トラファルガー広場に設置されたイラク系アメリカ人の彫刻作品、クルド人の現状を発信したことが問題となりトルコ政府に拘束されたアーティストについてなど、他のメディアよりもいち早く発信しています。
また、2年前にパートナーと立ち上げたResala(https://resalatokyo.com)では、イラク出身のフォトグラフォーによる写真展「衣食住」をアーツカウンシル東京の助成をいただき、2018 年6月に表参道で開催いたします。今まで中東地域に対して、怖い、かわいそう、エキゾチックなど様々なラベルが貼られてきました。「衣食住」では、中東地域に対する今までの先入観を一旦すべて忘れて、作品そして展示空間を楽しんで欲しいという想いで企画しています。
これからは、書く仕事を続けながら、次なるより大きなプロジェクトを展開していきたいと考えています。
私のように2つ以上の文化の間で揺れ動く人たちへ。
人権的に混合している人たちのため権利の章典
私には権利がある
自分のこの世界での存在意義を正当化しなくてよい
自分のなかの複数の人権を分断させなくてよい
自分のエスニシティを正当化しなくてよい
自分の外見やエスニシティの曖昧性に対して他人が感じる違和感に責任をもたなくてよい
(『人種神話を解体する3』p.26)
原文:マリア・P・P・ルートによる「権利の章典」http://www.drmariaroot.com/doc/BillOfRights.pdf
インタビュー:稲葉奈々子
セヴィンさんが企画を手掛けたシェブ・モハの写真展「衣食住」が、2018年6月9日から6月21 日まで表参道のMIDORI.so2 Gallery(COMMUNE 2nd内)で開催されました。
また、セヴィンさんが宣伝で関わった『オマールの壁』を本号(2018年6月号)の「移住者映画紹介」で紹介しました。(編集部)