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2019.06.26 ブログ

移住者のパイオニア(Mネット2019年4月号)ー保科 知彦さん

境遇を一つの才能(タレント)にーミックスルーツのアスリートから次世代の若者へ

2012年ロンドン・オリンピック 柔道 フィリピン代表
保科 知彦さん(日本生まれ / 31歳 / 都立中学教員)
母:ヴィルマさん(滞日歴39年)
境遇を一つの才能(タレント)にーミックスルーツのアスリートから次世代の若者へ

 近年、ミックス・ルーツのアスリートの国内外での活躍が目覚ましい。その中に、2012年のロンドン五輪に柔道フィリピン代表として出場し、現在は都立中学の教員として日本の教育現場で奮闘する保科知彦さんがいる。滞日歴39年の母ヴィルマさんの経験とともに、これまでの知彦さんの道のりと、教師としてそして次世代の父として、日本の教育現場にいて思うことを聞いた。



日本での子育てを振り返って~ヴィルマさん

 知彦さんは3人きょうだいの真ん中。知彦さんが12歳の時にヴィルマさんの夫、知彦さんの父が亡くなり、ヴィルマさんはシングルマザーとして3人の子どもたちを育てなければならくなった。その頃から柔道を始め、才能を伸ばしていった知彦さん。ヴィルマさんは小さい頃の知彦さんについて、こう語る。

 

ヴィルマさん:

 3人の子どもたちの性格はいろいろです。でも、知彦は小さい時から本や勉強が好きでした。だから今、学校の先生になったのは、ぴったりだと思います。きょうだいの中でも優しくて、一番親孝行な子です。家族思いのところが一番、フィリピン・スタイルかな、と思います。

 子ども3人を1人で育てるのはほんとに大変でした。昼と夜とで仕事を二つやって、月謝を稼ぎました。ほんとに毎日「どうしよう、どうしよう」っていう感じで精一杯でしたね。知彦の柔道部のほかの親御さんの中には、冷たい言葉を言う人もいましたよ。「そんなに生活大変なのに、私立の学校に行かせるんだね~」って。でも、知彦が、「そういう言葉、気にしなくていいからね」とアドバイスしてくれて、支えになりました。私が大変なことを、ちゃんとわかってくれていたと思います。息子はいつもほんとに色々とアドバイスしてくれるんですよ。「お母さん、大丈夫?こうしたらいいよ」って。この前の息子の結婚式の時も、そんなことを思い出して、たくさん泣いてしまいました・・・。

 

フィリピンのルーツについて…知彦さん

 家庭ではずっと日本語で育った知彦さん。中学生くらいの時には、自らのルーツについて考えることもあったという。

 

知彦さん:

 それほど学校でいやな思いをしたことはなかったんですけど、やっぱり中学生くらいの頃は、自分の家庭環境についていやだな、と思ったこともありました。クラス内で配られる保護者会のプリントで、自分の母親の名前だけカタカナだったりとか。その時には、授業参観にも来なくていいよ、なんて母に言ったりしていました。高校受験や大学入試の書類など、母が日本語を書けないので、自分で全部やらないといけなかった時などは、「母はフィリピン人だから書けないんだな」と感じたこともありました。周りの友だちは、親に手伝ってもらったりしていたので。でもその頃から、自分でできることは自分でやる、母ができることは母にやってもらう、というふうに考えるようになりました。  

 あと、大人になってからは、日本人のお母さんだって、海外で子どもを育てるのは大変なんだから、それは同じだ、とも思うようになりました。

 

二つの国籍と、柔道選手としての選択~知彦さん

 高校生になって、あるきっかけから知彦さんはフィリピン柔道のナショナル・チームに参加することになる。そこには、二つの国籍を持つ柔道選手としての選択があった。

 

知彦さん:

 高校時代に、系列校だった東海大学に日本育ちでセルビア代表の選手がいたんです。それで、「お前もフィリピンから出られるんじゃないか」という話になって、講道館に問い合わせたら、フィリピンの柔道連盟とつながって、「それじゃあ一回、試合に出てみよう」ということになりました。予選で優勝して、フィリピンの全国大会で準優勝しました。高校3年の時です。それまでは、自分が二重国籍ということはわかっていたんですけど、フィリピンのナショナル・チームに入るなんて、思いもしませんでした。

 パスポートも、それまでは日本のものしかなかったんですが、「じゃあ作ってみよう」ということでフィリピンのものも作って。その後、柔道の現役の間まで有効なフィリピンのパスポートも作れて、世界大会での国籍エントリーも問題がなくなりました。フィリピンは二重国籍がOKなので。

 22歳になるまではけっこう国籍のことで悩んでいました。どっちにしようかな・・・と。やっぱり選手としてやりたいので、柔道を引退してから日本に帰化しよう、と思ってました。

 でも、フィリピンのナショナル・チームの強化選手になって、オリンピック出場の可能性が出てきたときには、「チャンスが増えた」と思いましたね。こればっかりは、本当に母のおかげ、というしかないです。母はとても喜んでいましたね。

 高校生の時からフィリピンと日本の両方のマスコミに注目されて、新聞やテレビで取り上げられることが多かったんですが、そのことはポジティブに受け止めていました。でもやっぱり、試合に勝って注目されたい、とは思っていましたね。試合に勝って、「あいつ誰だ。日本の名前じゃないか」みたいなふうに。

 

 フィリピンチームの強化選手になった知彦さんだが、日本とは違い、海外遠征の費用が自分持ちの時などもあったと言う。しかし、横浜国立大学大学院在学中に、見事に2012年ロンドン五輪柔道フィリピン代表の出場権を手にした。

 

ロンドン・オリンピック出場を振り返って

ヴィルマさん:

 オリンピックの選手に選ばれたときは、TVにも出たりして、本当に涙が出ました。息子は頑張ったな、と。世界の舞台ですから。でも出発前のパーティも、知彦は、「大丈夫だよ、そんなに派手にしないでね。シンプルに」と。そういう息子です。

 

知彦さん:

 ロンドン五輪から7年経ちました。あのあと、フィリピン大使館で大統領から表彰されたりもしました。今は公務員(東京都の中学教員)になったので、国籍も日本です。オリンピック代表だったことはもう過去のことですが、オリンピックに出られたおかげで、今の自分があると思っています。今の時代なんで、教えている生徒も保護者もインターネットで調べますから、僕がオリンピックに出たことは、みんな知っています。

 フィリピン代表として世界の舞台に立てたことで、日本を俯瞰して見ることができるようになったと思います。日本社会のおかしいところなども、よくわかるようになりました。今のオリンピックのあり方についても疑問を持てるようになりましたし。東京オリンピックも、予算ばかり膨れ上がって「アスリート・ファースト」に全然なってないですよね。こういう考え方をできるのも、自分がミックス・ルーツであることに関係していると思います。でも、五輪のマークにはときめきますけどね。

 

活躍するフィリピン・ルーツの後輩・同輩たち

知彦さん:

 僕のあとも、横浜国大から何人か柔道のフィリピン代表でオリンピックに出た学生はいたと思います。同じフィリピン・ルーツの高安関や御嶽海関も、応援しています。彼らの存在に影響されて、うちの母は7カ月のうちの息子(ヴィルマさんの孫)をお相撲さんにしようか、なんて 「ジャパン・ドリーム」を見てますよ(笑)。卓球の吉村真晴くんもロンドン・オリンピックの時から知ってます。

 ロンドン五輪後は、フィリピンにつながる日本の若い柔道選手を応援する活動もしていました。同じフィリピン・ルーツの柔道の後輩の指導には、やはり力が入ります。今は、女の子で1人強い子がいるので、彼女はきっとフィリピン代表で東京オリンピックに出られると思います。

 

教師になって

 大学院修了後、最初は群馬県の私立高校に数学の教員として着任した知彦さん。その後、新たに技術科の免許を取得して、都立中学の採用試験を受け、見事に合格した。

 

知彦さん:

 僕は、何かを積み上げて達成する、ということが好きなんだと思います。柔道もそうだし、勉強もそう。群馬の私立高に最初就職した時は、体育と数学の免許を持っていたんですが、働きながら足利工大の夜間部に通って、技術科の免許もとりました。東京に移ってからは、芝浦工大に通って工業の免許をとる準備もしています。もうこれで学業は当分お休みしますが(笑)。でも、何かを積み上げて達成する、というのが好きなんですよね。 

 今は都立の中学校で1年生の担任をしています。なかなか難しいですよ。教えている学校にも外国につながる生徒もいます。試験問題にもルビをふったり、そういうことを今の学校ではやるんです。国際担当の教員がいないので、各教科担当の教員がやっています。区内で指導している柔道の生徒にはフィリピンつながりの子もいます。

 でもほんとに中学の教員は忙しいです。土日も部活の指導でつぶれますし。今は野球部の担当で、去年はバスケ部担当でした。自分の経験のないスポーツも担当しないといけないので、保護者の声などはけっこう厳しいです。

 柔道では、資格を取って都の常任審判をしています。さっき、「積み上げるのが好き」と言いましたが、神奈川県立武道館で五段を取る準備もしています。

 

教員として、そして親になって思うこと

知彦さん:

 息子は、第三世代っていうんですかね。いわゆるクウォーターですね。もう息子の次の世代くらいまでになったら、ほとんど日本の人は何かしらミックス・ルーツになりそうですよね! 

 僕自身は公務員になったので、国籍は日本なんですが、別にそれで何かが変わったり、フィリピンとの縁が切れたりすることもないですね。

 自分のルーツのことを、勤務している学校で話していい時と、あまりよくない時があるかな、と思っています。生徒によっては悩ませちゃうこともあるので、状況を見ながら、という感じです。学校では、「クリスマス」という言葉も行事では使っちゃいけなかったりするので・・・多様性を認めるがゆえに、偏らないように、ということのようです。難しいですよね。

 

ミックス・ルーツの子どもたちへ

知彦さん:

 自分の置かれた環境や境遇を一つの才能(タレント)として、最大限活かしてほしいですね。僕自身が柔道では日本じゃなくて、フィリピン代表を選んだり、教員免許を取る際に、保健体育より技術を選んだのも、考えた上での選択であり戦略です。選択肢が多い中で自分自身で選び取る、というのがよいと思います。選択は本人のものだけれど、「選べる」という環境は贅沢なことだと思います。もちろん、同じような環境にあっても、「選ばない」人もいます。それもその人の選択です。ただ、選択肢が多いということは贅沢なことなので、それを最大限活かして生きていってほしいと思います。

 僕自身は、「フィリピンとのハーフ」と呼ばれることに対して、「そうだよ!パスポート2つあるよ」みたいなスタンスでこれまで応じてきました。そのおかげで自分は活躍できているので。「ミックス・ルーツの境遇だから自分は・・・」、とか、「そういう境遇なのに自分は・・・」、と考えるのではなくて、「自分は自分として」、若い人たちにも頑張ってほしいと思います。

 

子育てを終えて…ヴィルマさん

ヴィルマさん:

 子どもたちが大きくなって、孫もいて、今が幸せです。フィリピンの出身地であるブラカンに家も完成したので、これからは日本と行ったり来たりかな。孫たちも遊びに来るといいなと思ってます。昔はこんなにフィリピンにしょっちゅう帰れなかったですからね。今は幸せです。孫たちにも、「ばあば、100歳までに生きてね」といわれてます。周りのフィリピン人の中には、子どもで苦労している人もいるので、私は幸せだと思います。ただ、日本語を「書く」ことは、もっと勉強すればよかった、と思ってます。

 

 

 シングルマザーとして日本での3人の子育てに奮闘したヴィルマさんと、その思いに寄り添い感謝しながら、二つの国籍の間で選択を重ねてきた知彦さん。二人の道のりは、多くのフィリピンにつながる家族のストーリーと重なる部分が多いのではないだろうか。二重国籍やミックス・ルーツのアスリートに注目が集まる中、こうした家族の物語が、多くの人たちにとって身近になる時代がやってきている。知彦さんの息子さん世代の日本社会の多様性に思いを馳せながら、同時に今後の日本社会や学校がこうした世代をどうはぐくんでいけるのか―様々な思いが尽きないインタビューとなった。(小ヶ谷千穂)

 

注)外国籍でも地方公務員や公立学校の教員になることができます(ただし昇進・昇給には制限あり)。


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